30th
皆様のおかげで創立30周年

2018年5月
株式会社晃栄住宅は
創立30周年を迎えました。

お客様に支えられて30年。
これまでも、そしてこれからも。

創業から30年。

鹿児島市を中心に、これまで建ててきたお家は2500棟以上。

一棟ごとに施主であるお客様と当社の思い出があり、それは一つとして同じものはありません。

お客様のためにいい家を提供したい、その思いで試行錯誤を積み重ね、
現在は住宅の本質ともいえる家族が健康に過ごせる快適な空間を実現した、
当社独自の工法の家「楽暮」(らくら)で、
これからの住まいづくりに新しい価値観をご提供していきたいと考えています。

これまで家を建てて下さった多くのお客様は、
今でもアフターメンテナンスや年に1度の感謝祭を通じてお付き合いをさせて頂いております。

これまでも、そしてこれから新しく生まれる当社の住まいとそこに暮らすご家族のために、
家づくりを通じて新しい出会いを大切にしていく企業を目指して参ります。

KOUEIヒストリー ~社長ものがたり~


代表取締役社長
仙田 次雄

新商品開発のアイデアマン。
人情家。
理想主義者。

人としてさまざまな側面を持つ、晃栄住宅社長・仙田次雄。

でも一貫して追い求めてきたものは、「とにかく良い家をお客様が買える価格で提供する」という極めてシンプルなこと・・・。

「はたらくこと」に対するベースができた子ども時代

私は鹿児島市内の武町で2人兄弟の次男として生まれた。実は、生まれた実家は当時、あまり裕福ではありませんでした。

「家計の助けになれば・・・」「自分自身のお小遣いを自分で稼がなくては・・・」という思いから、小学4年生の頃から新聞配達のアルバイトをスタートしました。
朝早く起きて、晴れの日も雨の日も毎日、新聞を持って自分が担当するお宅に新聞を届ける。

夏も冬も関係なく頑張って、その成果として、1ヶ月のお給料を頂戴する。その瞬間が、本当に嬉しかったのです。

小学生から中学生までは新聞配達。
そして高校生からは牛乳配達をずっとしていましたが、不思議と辛いと思ったことは一度もありませんでした。
そして「当たり前のことをコツコツすることがはたらくことの基本である」というような考えを持つようになりました。

東京に出て働くも、鹿児島に戻り、ガラス屋の手伝いをすることに・・・
高校卒業後は、東京の電気会社に就職。当初は鹿児島に戻る気はなく、目の前の仕事に一所懸命取り組んでいました。

働くことが好きで、目の前の仕事に全力で取り組み、その結果、確実に自分が成長していることを感じられる・・・。
そういうことにやりがいを感じていました。

しかしながら、ガラス屋さんに勤めていた父が起業・独立をすることになり、「鹿児島に戻ってきて一緒に手伝ってくれないか?」と頼まれたのです。

「このまま東京で頑張るべきか?それとも鹿児島に戻って、父を手伝うべきか?」いろいろと悩みましたが、私が出した答えは、鹿児島に戻り、父の仕事を手伝うことでした。

それで東京の住まいを引き払い、鹿児島に戻ってきたのです。

鹿児島に戻って、全くの畑違いのガラス屋さんの営業に・・・。
しかし、働くこと、特に営業が大好きだったこともあり、多くのお客様に可愛がっていただけたこともあり、経営は順調でした。

そしてガラスだけでなく、当時、ニーズが高まっていたアルミサッシの販売も始め、更に商売は軌道に乗ったのでした。

ガラス・サッシ屋から住宅事業に・・・

ガラス・サッシ屋として順調だったある時、お世話になっていた仕入れ先のメーカーさんから、
「当社が展開している住宅のフランチャイズで、鹿児島県に1社も加盟先が無い。仙田さん、一生懸命家づくりに取り組んでいる良い工務店をどこか紹介していただけませんか?」という依頼がありました。

当時からいろんなことに関心があったこともあり、取引先の工務店さんに集まっていただき、いろんな勉強会も企画したりしていたので、その中から加盟してもらえる工務店さんがあるだろう、と思っていろいろと提案してみたのですが、結果としてどの工務店さんからも「加盟する」という返事はいただけなかったのです。

「これからの時代に適応して、工務店さんも変わらなくてはならないのに、なぜやらないんだろう?」
「このまま加盟先が見つからなくては、メーカー担当者の顔を潰してしまう・・・」いろいろ悩んだ末に、私が出した結論。

それは自らが住宅事業に参入するというものでした。

取引メーカーさんの顔を潰さずに済みますし、何となくこのタイミングで「住宅事業にチャレンジしなさい」と神様から言われている感じがしたのです。
会社名も「株式会社晃栄住宅」と変えました。

こうして電気会社のサラリーマン、ガラス・サッシ屋を経て、住宅業界で働くことになったのです。

家づくりに真剣に取り組む中で・・・

家づくりということが自分の仕事になるなんて、夢にも思っていなかった私。
当然ながらノウハウも知識も経験もありません。

ですから、フランチャイズ本部が教えてくれることを懸命に学び、学んだことを素直に実践していきました。

お客様が見たい時に見ることが出来るモデルハウスを建設し、価格を明確にし、教えられたとおりに忠実に家を建設する。
すると、成果はすぐに出ました。

順調に受注棟数が増えていき、スタッフの数が増えていきました。

しかしながら、しっかりとした管理が出来ず、お客様に工期や品質の面でご迷惑をかけてしまうこともしばしば発生しました。

家という世の中で最も高額なモノをお客様から託される住宅会社にとって、それはあってはならないこと・・・。
そこで晃栄住宅で建てさせていただいた家をお客様にお引き渡しする前に、全棟自分の目で検査し、万全の品質の家のみをお引き渡しすることに決めたのです。
来る日も来る日も、フロアのキズやクロスのチェック、床下や屋根の裏に潜り込んだりして、自社が建設した家を検査していました。

こうした地道な努力の結果、晃栄住宅がつくる家の品質は着実に上がっていったのです。
しかし、毎日床下や天井裏の空気を吸っていたことが原因で、一生治ることの無い喘息にかかってしまったのです。

喘息になった途端、普通に呼吸できることが如何に幸せか、ということに初めて気づきました。
合わせて、「お客様にとって本当にいい家とは何か?」ということをこれまで以上に本気で考えるようになったのです。
そこから日本全国47都道府県のトップレベルの住宅を建てている企業様の視察、更にはアメリカ・ドイツ・イタリア・フランス・スペインなど、世界10か国以上の住宅を視察させていただき研究しました。

断熱・換気・冷暖房・工法などに関する知識が非常に深くなったと思います。

お客様にとってお求めやすくて良い家を提供するために・・・

日本、それから海外でたくさん学んだことをベースに、本当に良い家をお客様の手が届く価格で提供したい・・・。
そんな強い想いを押さえることが出来なくなりました。

ただ、住宅のフランチャイズに加盟して、その本部の看板を使わせていただく限り、本部の商品を販売せざるを得ないのです。

住宅未経験の自分が住宅会社としてやってこられたのは、本部のおかげ・・・。

でも、本当に良い家をお客様にご提供したい・・・。

自分の中で葛藤しましたが、最終的にお客様に対して胸を張って、「当社は本当に良い家をつくっています!」と言える仕事をしたい。その気持ちが勝りました。
こうして住宅のフランチャイズを卒業させていただき、今では当社ブランド一本で、しかも日本中、更には世界あちこちの素晴らしい部分を取り入れた、当社オリジナル商品のみで展開をさせていただいております。

まだまだ改善すべき点は多々、あるかと思いますが、とにかく常に進化を遂げ、本当に良い家をお客様が買える価格で提供していきたいと思っております。


鹿児島市山田町当社鹿児島店モデルハウス